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彦根城は、リサイクル城

転ばぬ先の散歩

皆さん、こんにちは。
転ばぬ先の寺子屋:塾長のふみちゃんです。

転ばぬ先の散歩シリーズ、今回は、滋賀県・彦根城を訪れました。
徳川時代の初期に誕生した彦根城には、いくつかの特徴がありました。
周辺の廃城から多くを移築したリサイクル城であること、過去に、戦火に見舞われたことは一度もないことなどです。
明治時代の廃城令も乗り越え、現在では国宝の天守閣を持つ名城です。
その彦根城を散歩しました。

1:彦根城誕生秘話
2:彦根城は、リサイクル城
3:戦いがなかった彦根城
4:江戸風情が残る彦根城周辺

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彦根城誕生秘話

JR彦根駅を下車、駅前のロータリーでは、彦根藩初代藩主である井伊直政公の銅像が迎えてくれる。
ロータリーからまっすぐ伸びる商店街を、前方にちらほら見える天守閣を目指して進むと、彦根城の中堀に行き着く。

滋賀県彦根市金亀町1-1、35万石の彦根城である。
地名の金亀(こんき)は、彦根城の別名が金亀城(こんきじょう)と呼ばれることから名付けられたと思う。
城内の広さは、甲子園球場13個分。

徳川家康の命により、この地にあった石田三成の居城である佐和山城を廃するために、1604年に工事が始まり、1622年に城下町が完成し、約20年かけての工事が終了した。
以来、井伊家が守ってきた城下町である。

堀は、内堀、中堀、外堀と、琵琶湖の水量を活用した湖畔に立つ平城である。
外堀は埋められ、現在は、内堀と中堀が城下町の風情を残している。
戦国時代には、日本全国で約3,000もの城があったと言われている。
しかし、徳川の江戸時代になると、一国一城令と城の新築禁止令により多くの城が廃城となった。
さらに明治時代になると、廃城令により、さらに多くの城が取り壊された。
彦根城は、明治天皇が彦根をおとづれた際に、壊すのは惜しい城と言われたことから存続が決定したという説がある。

天守閣が残っている城は、弘前城、松本城、犬山城、丸岡城、彦根城、姫路城、備中松山城、松江城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の12城しかない。
そのうち、国宝に指定されているのは5城しかなく、松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城である。
彦根城は、昭和27年(1952年)に国宝に指定されている。

彦根城は、リサイクル城

彦根城はリサイクル城である。
天守閣は、大津城から、天秤櫓(てんびんやぐら)は長浜城から移設されたリサイクル城である。
したがって、天守閣は2年足らずで完成しているが、堀も含めて敵から守ることのできる城郭の完成には20年余りかかっている。

大津城から移設された天守は、3階立てで、屋根は、「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」の3重構造になっている。

石垣も、取り壊された城から運んできた石で作られている。
よく見ると、人名が記された石もあった。
おそらく墓石をリサイクルしていたのであろう。

戦いのなかった彦根城

彦根城のもう一つの特徴は、一回も戦火に見舞われていないことである。
築城されたのは、関ヶ原の天下分け目の戦いの後、この地にあった石田三成の居城:佐和山城を廃する目的で、徳川家康が築城を命じた。

完成後は、平穏な江戸時代を過ごし、幾たびかの廃城の危機も乗り越えてきた城である。
過去、戦火に見舞われたことは一度もない。
したがって、城の輪郭や敵に襲われた時の仕掛けなど、一度も使われていない。
天守閣に続く橋は敵に攻められた時に落とせるよう設計されているが、未だ落とされたことはない。
また、城を取り囲んだ堀は、内堀、中堀、外堀と3重になっていたが、現在、外堀は埋め立てられ道路になっている。

江戸風情が残る彦根城周辺

彦根城周辺には、江戸時代の面影が残っていて、観光地になっている。
中堀は、屋形船で周遊できるようになっている。
また、周辺の城下町は、家老屋敷があったり、江戸の街並みへとタイムスリップできる。。
彦根城の南に位置する日本庭園の玄宮園は、四季折々の風情が楽しめる。
江戸風の街並みが残る夢京橋キャッスルロードに行けば、買い物や食事・食べ歩きが楽しめる。

今回は、以上です。
また、お会いしましょう!

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